まっきんの詳しいプロフィール 〜死ぬまで忘れることのない過去の物語〜

小学生~やんちゃな子供で落ち着きがなく、死にかけた

 

小学校の頃は、とにかくやんちゃで全然落ち着きのない子供でした。

僕は、北海道の田舎で育ち、田舎でのびのびと、

毎日友達と外に遊びに出かけるくらい元気でした。

僕の家族は、その時アパートに住んでいて、部屋が3階にあり、

仲の良い友達の部屋は、1階にありました。

 

だから、家を出て10秒もあれば、遊びに行けることもあって、

一時期は、ほぼ毎日のようにその友達の家に遊びに行ってました。

それが僕の小学1年生から4年生までの過去です。

 

また、僕の本当に仲の良かった友達、親友と呼べるくらい一緒に遊んでいたのは、

その1階に住む友達以外に、近くのアパートに住んでいた女子の友達でした。

小学生や幼い頃って、女子と遊ぶ友達が多いですよね。

僕も、そんな感じで仲良く3人とかで一緒に遊んでいました。

 

僕が小学生の時に死にかけた出来事というのは、

小学3年生の時に起こりました。

もう、思い出すだけでも「ゾッと」します。

 

小学3年生の冬に、友達5人と「山の上にある町に行かないか」という話になりました。

僕たち5人は、小学生だから山に子供だけで行く危なさも知らずに、

最悪にもその時は冬でありながら、山を登ることになりました。

 

行きは雪が積もり道が悪かったけど何とか、疲れながらも登って町に出ることはできました。

僕が死にかけたのは、この帰りのことです。

帰り、友達5人中3人くらいがいきなり、走りだしました。

僕はおいて行かれると思い、それについていくように頑張って走って追いかけました。

山の下り坂の雪の上をです。

 

今の僕の頭であれば、小学生がそれをやることがどんなに危険かすぐにわかるくらい危ないことでした。

でも、僕は田舎で育ち、走りなれていたこともあって、

思わず走ってしまいました。

これが運命の分かれ道でした。

 

僕は最初の下り坂は、真っすぐで走って山を下りていくことができました。

しかし、事故は山の中間くらいにある急なカーブで起こりました。

僕は、この時のことを今でもトラウマで思い出したくはないのですが、

敢えてあなたに、僕のことを知ってもらいので書きます。

僕が前を走っている二人が見えなくなり、

そのまま走っていました。ちょうど急カーブに入ったときに、

遠心力がかかり、体が外側に出てしまうことを知らずに、

そのまま猛スピードで雪の上を曲がってしまいました。

 

その時、ちょうど雪が解けている場所に足を取られて、思いっきり滑りました。

僕の体は、山道から急な60°くらいはある斜面に投げ出されました。

斜面に投げ出されて、何とか木の細い幹に掴まりました。

僕はその時、完全に失神しそうになりました。

それは、そこから下を見ると、

「もしそこから落ちたら、確実に死に至るような高さだったからです。」

しかも、僕が登った山は角度が急すぎて、途中で引っかかったり、止まったりするような緩やかな山ではありませんでした。

 

下には、なぜか総合病院があり、それがなぜか目に映りました。

その時、思いたくないことが頭に浮かんできました。

「俺はここで死んでしまうのか」と。

小学生3年生で、あまり力もないためどんどん腕が疲れてきました。

「これはやばい、本当に死んでしまう。」と思い、

一瞬、今までの人生を振り返る走馬灯のようなものが、脳裏によぎりました。

「え、俺死ぬの?」

「まだ、死にたくないよ!!」

「これからやりたいことがたくさんあるんだ!」

「死にたくない!」と

心の中で叫びました。

 

僕は、腕と足の力をフルに使って何とか、道まで上がることができました。

その時が、人生で一番心臓がバクバクしました。

僕は、小学生ながらその時の出来事がきっかけで、「後悔のない自分にしかできない人生を歩みたい」と心から思いました。

それは、自分の命が本当に無くなりそうになったから思ったことで、もしこの出来事がなかったら、僕は多くの人が送るような普通の人生を送っていたと思います。

人間、死にそうになった時や窮地に立たされた時に、本当の力を発揮します。

その時に、自分が生きる意味が何なのかを、否が応でも考えさせられるのです。

 

僕は死にかけたからこそ、自分が生きる意味を本当の意味で考えさせられるきかっけになったのだと思います。

今の僕があるのも、そのことが大きく関係していると思うし、

その出来事は本当は起きては欲しくなかったけど、

それがあることで僕は今、何にも縛られずに人生のすべてを自分の考えで生きられているのだと思います。

だから、僕は今と同じようにこれからの人生も、まずは自分が幸せになり、そのあとに多くの人の人生を幸せにしたいと思っています。

人間、まずは自分が経済的・時間的に自由にならなければ、他人の幸せを考えられないのです。

だから、僕はこれからも自分にしかできないことで、多くの人に価値を与え幸せにしていきたいと思っています。

 

これが、僕の小学生時代です。

最初から少し刺激が強かったと思います。

 

中学生~平和だった学校生活がいじめによって一瞬で地獄と化した

 

僕の中学入学当時は、ただの真面目な中学生でした。

僕の中学校は、普通の学校よりも不良が多く、治安はとても悪かったです。

日本の中学校にいるのに、「ここは戦争中のイラクか!?」というくらい、いじめや悪ふざけが度を越えているのです。

例えば、いじめならば学生をいじめるのは、ほとんどの中学校にあると思うのですが、学生のみならず、「先生までも、いたずらではなく本気でいじめる。」

悪ふざけでも例えば、「授業中に授業ができなくなるくらいの大声で歌を歌いだす」、「靴を4階から外へ投げられて、自分で取りに行って帰ると学校のドアにカギをかけられて入れなくなる」、「男の先生を馬乗りにして殴りまくる」。

そんなことが、日常茶飯事のような中学校でした。

 

僕はそんな中学校で1年生は何とか、関わらないようにして何事もなく、安全に過ごすことができました。

先に行っておくと、僕はこの中学時代で人生が大きく変わる出来事にまた会います。

 

 

中学2年生になり、クラス替えがありました。

そこから、僕の人生は大きく揺るがされることになります。

 

最も、たちの悪い不良、まさにやくざの子供みたいなのに絡まれたのです。

勝手にあっちから目を付けられのです。

私はそこから人生のどん底「地獄」を経験することになります。

 

そこから、地獄のいじめが始まりました。

僕を、主にいじめる不良は2人いました。

ここでその2人を、仮に名前をIとKと付けます。

 

Iは僕が関わらないようにしても、ずっと付きまとってコテンパンにいじめてくるような人間でした。

Iからしたら、自分の悪い家庭環境でのストレスを僕に向かって、完全発散しているのかもれませんが、僕からしたら冗談ではなくマジで「死ぬ覚悟」をしたほどです。

それほど、いじめは深刻なものでした。

 

例えば、休み時間になると一目散に、僕を無理やり引っ張り廊下に出だして、いかにも僕がサンドバックかのように、本気で殴ってきたり、蹴ったりしてきました。

本当に人間の扱いをされないくらいひどく、あざは何十か所にもでき、骨を折られるのは時間の問題だと思っていました。

そのような扱いを、1週間や1ヶ月とかではなく、1年半は続きました。

1日に1回とかではなく、何度も殴られ、蹴られました。

僕の私物を盗まれることや、目の前で取られるなんて当たり前のことです。

 

まさに人生のどん底でした。

死にたいと何度も思わされました。

今でも本当に醜いです。

 

そこから僕は、学校に行って蹴られたり、殴られたりするのが恐怖になり、

学校に行くのが嫌になり、不登校になります。

 

不登校になって、学校に行かないようになってから、親にも心配されるけど、

中学生の僕は恥ずかしくて何も言えず、ただ具合が悪いから休むといい、ずっと暇な日々でした。

 

 

僕自身も家にいても特にすることはなく、ゲームをするか漫画を読むかばかりで、本当に退屈でした。

ですので、学校に行きますがまたいじめられます。

 

どんな先生に言っても、どうしてくれるわけでもなく、解決することはできませんでした。

本当に、あの時は地獄でした。

たまに学校に行ったり、休んだりと毎日がその繰り返しでした。

誰が何をしてもどうしようもならない、変わらない状況です。

成績は悪くなるわ、悪いことを強要されるわで、私はもうどうしたらいいのかわかりませんでした。

辛すぎて、頭がおかしくなりました。

 

 

しかし、そのときの私はその絶望の状況に決意しました。

自分がぼこぼこにいじめられるのは、大人の力でもどうしよもならないのなら、

もうしょうがない、これは耐えるしかないのだと。

耐える他に方法はないと分かったのです。

 

実際、私はその中学校2年生の絶望の時期を耐え抜きます。

 

高校生~好きな人ができたが、コミュ障で勇気がでない自分に苛立ちを感じる日々

 

僕が高校生になった頃、入学してすぐに好きな人ができました。

もうそれは、完全な一目惚れです。

 

好きな人と一緒のクラスで、話す機会がありました。

僕はその頃、自分から行けない完全な陰キャラだったので、

自分から言ったわけではなく、席が近かったことがあり、

強制的に話す機会があったのです。

 

そこで相手から話しかけてきました。

その時の僕の内心といったら、心臓がバクバク過ぎて、

心臓が飛び出るくらいの緊張具合でした。

 

人間本当に好きな人と話すときは、心臓がとんでもないほどバクバクするはずです。

僕は、高校1年生で本当に好きな人が初めてできたので、それはもう心臓は半端ではありませんでした。

 

僕は、中学生の頃は陽キャラだったこともありますが、

高校入学当初から、良い大学に入る目標があったので、

勉強も平均以上はして、あまり遊ばず、

どうしても陰キャラの状態になりがちでした。

 

僕は今でもそのことは、本当に後悔しています。

まあ、後悔しても過去のことはどうしようもないんですけどね。

でも、人間陽キャラいた方が楽しいと思います。

 

それは、まず友達や話せる人が圧倒的に増えるし、

思いもよらないチャンスが来たりするからです。

 

結局、僕は1年生の頃は告白することもなく、2年生になってしましました。

僕は、陸上部だったのでほぼ毎日部活に励んでいました。

その頃も、彼女への気持ちは全く変わらず、

でも僕は、告白したことがないので、告白することが怖かったことと、

告白して振られたら格好悪いとばかり思っていました。

 

まあ、今考えると本当にバカだったなと思いますよね。

振られて格好悪いと思われるのと、付き合えるのどちらが良いかといったら、絶対に付き合えるほうが良いに決まっています。

考えれば、考えるほど時間がもったいないです。

 

2年生もあっという間に過ぎ、3年生になります。

僕の好きな彼女とは、席替えの度に席がすぐ後ろだったり横だったりと、運命かのように毎回のようにすぐ近くにいました。

僕は、ある程度成績が良かったので、彼女から勉強を聞かれることも何度もありましたし、LINEで話すこともたびたびありました。

この状況で、なぜ俺は告白しなかったのか、、、

本当にその時の僕は謎です。

周りからみれば、早く告白すれよと思うはずです。

 

でも、そこでもなぜか自分の好きな人はごまかし、友達の好きな人は聞いていました。

もう、意味が分からないですね。

あの頃の僕は、本当に葛藤の日々でした。

なんで、本当に好きな人がいて彼氏がいるわけでもないのに、告白しないでいたのか。

もしかしたら、相手も僕のことが気になっていたから、LINEをしてきたのかもしれない。

こう見たら、本当に過去の自分は鈍感ですよね。

 

悔しいというか僕の恥ずかしい過去です。

振られてもいいから本当に告白しておけば良かった。

後の祭りです。

 

==================

公式LINEに登録すると、公式LINE限定で僕が1000万円以上投資してきた知識を順次発信していきます。

人生変えたいという人はぜひご覧ください。※登録無料です

→ https://lin.ee/VBTfNV3

ウザかったら即ブロックできます。

==================

公式メルマガでは、ブログでは話せないビジネスの原理原則、または具体的なノウハウなどをメルマガ限定で順次語っていきます。※登録無料です

https://lucas358for.com/p/r/CmeR2csZ

==================